『 恋のevo
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 夏の強い日差しの下を、ひと組のカップルが歩いていた。
こう暑くては手を繋ぐ気にもなれず、口を開けば夏の悪口ばかりがついて出る。
「温暖化深刻すぎるだろコレ。やばいだろ。」
「コンビニ入ろうよ。 溶ける…」
 真っ青な空は雲ひとつない。 街路樹の並木はまぶしい緑の葉を風に揺らせているが、その風すら、恋人たちにとっては熱風に感じられた。
 一匹のセミが空を横切り、恋人たちのすぐ前方の樹にとまる。 そして、周囲のセミたちの大合唱に張り合うように、突然大きな音で叫び始めた。
アブラゼミのノイズのような鳴き声に、彼氏はいっそう顔をしかめた。
「あーうるせえ…。 なあ、おれ思うんだけどさあ」
「うん」
「セミの求愛行動って、いい加減進化しねえのかな。 あいつら、鳴き声のせいでカラスに居場所がバレて食われたりすんだぜ。 次の手考えたほうがいいと思うんだけど。」
 何処かで悲鳴のような鳴き声が聞こえ、数匹のセミが空に飛び立つのが見えた。 その下では、虫あみを持った少年が「うえー、しょんべん!」と叫んで、顔を防いでいる。 飛び立ったセミを追いかけて、こんどはツバメが空を横切る。
 彼氏の言葉に、彼女は頷いてみせた。
「ああ、そうだね。 たしかに、誰も得してない気がする。」
 でも、気がついてないんだろうね。虫だし。 それよりさあ、はやくコンビニ入ろ。
苦笑いを交わしてコンビニに入っていく男女二人の、すぐ後ろで、アブラゼミはぴたりと鳴き声をやめた。



 アブラゼミは悩んでいた。
 恋がしたい。 だけど恋をするためには、歌を歌わなくてはいけない。
自分は虫だ。 空に天敵はごまんといる。 腹を震わせ、情熱的に「恋がしたい」と歌う事は、
同時に鳥達に向けて「ここにエサがいますよ」と宣伝しているのにも等しい。
 セミは参っていた。 こんなチキンレースはもうこりごりだ。

 セミたちは鳴き声によって伴侶を獲得し、生命を受け継いできた。 それは彼も知っている。
より大きく、美しく鳴く事の出来るオスが、メスの心を惹き付ける。 それも、痛いほどに深く理解している。
 この儀式こそ、幾世代にも渡って繰返されてきた性淘汰だ。 だが当のアブラセミは、疑問を感じていた。
天敵に狙われるかもしれない中、それでも臆せずに愛を叫ぶ。 それは確かに勇敢なことだ。
(だが、欺瞞ではないか?)
ならば何故、自分たちの羽は木の幹と同じ色をしているのだ。
隠れてこそこそしてるじゃないか。 「できれば見つかりたくないッス」ってことではないのか。
 それは本当に勇敢か?
(…いいや違う。 蛮勇と断じざるを得ない。)
これはただ向こう見ずで、愚かな勇気だ。
本当の意味で勇を鼓(こ)すという事は、ただ叫ぶ事ではないはずだ。
アブラゼミは、小さな身体の中に、強い決意を持って飛び立った。

 強く、変わりたいと願う心。
それこそが、命を前へと進ませる原動力となる。
 この一匹のセミの疑問から、彼らの未来は大きく変わった。
長い年月をかけて、セミの男女たちは、その空っぽの共鳴室を埋める、新しい求愛ツールを生み出すことに成功した。



***



 公園の芝生の上で、4対4のバーベキュー・コンパが行われている。
 夏はいよいよ本番だ。 連日、最高気温は30度に迫り、アスファルトの上の大気は、休む暇もなく踊り続けている。
透明な偏光ガラスで出来た屋根の向こうでは、空は星まで見えそうな深青に澄み渡り、風は程よく吹いている。 今日は、最高のバーベキュー日和であった。
 しかしながら、大きな桜の樹の下にレジャーシートを広げた男女には、距離感が感じられる。 どうにも、盛り上がりに欠けているようだ。 誰かが持ち込んだ携帯プレーヤーが、流行のサマーソングを奏でているが、コンパの雰囲気と対照的な歌詞が、焦ったような素早いbpmの上に漂っている。
「おーい、肉焼けたぞ〜!」
 幹事の男性が声を上げると、遠巻きに見ていた女たちはゆっくりとバーベキューセットに近づいてきた。
 最も離れた場所にいた二人連れの女性は、片方が、もう一方にこっそりと耳打ちをしている。
「ねえ、エイ美。 あんなかじゃ どの男がタイプなの? 言いなよ、あたしが協力したげるから!」
 幹事のシィ子と、その友達のエイ美だ。 このコンパは、失恋したばかりのエイ美を励ますために、シィ子が企画したものだった。
「えっ、いや…まだ、わかんない。 気遣ってくれて嬉しいけど、いいよ、あたしは…」
 シィ子には、エイ美の眉間の間に、あきらかに『未練』という字が見て取れる。
声を弾ませて、その暗い気配を相殺しようとするが、エイ美はなかなか気乗りしないようだ。
「ディー夫みたいなチンケな奴のことなんか、とっとと忘れちゃったほうがいいって」
小声の「うん」という返事を聞いて、シィ子は友人の手を取り、男子たちの輪に近づいていく。


 エフ雅は肉を焼きながら、ずっとエイ美の事が気がかりだった。
 話しかければ答えてくれるのに、じっとしている姿はどこか上の空だ。
「もっと食べなよ、クローンじゃない本物の牛肉だぜ!」 と、お肉を薦めると、
「ほんとだね、おいしいね。」と笑顔を見せてくれたが、その取り皿にはタレが入っていなかった。
 時々ふと、空の一点を見つめて、ぼうっとしている。 その横顔がどこか寂しそうで、ひどく気になった。
地球は回っているのに、彼女だけがずっと同じ場所に留まっているような。 ただ時間が経つだけで、どんどんと離れていってしまう気がする。
「なあ、エイ美さん。」
「はい?」
 彼女には好きな男がいるのだろう。 そんな予感がした。
 それでもエフ雅は恋がしたいと思った。 夏は昔に比べれば随分長くなったというが、それでも短いのだ。
恋がしたい、できるならばエイ美と。 と、思った。
しかし、今それを口にすれば、彼女は自分から離れていくだろう。
 エフ雅はただ黙って肉を焼くほかに、術をしらない。 ああ、正直に告げる以外に、何か方法はないのだろうか。
彼は、頭を掻き毟りたい衝動に駆られる。
 桜の樹を見上げ、今はもう鳴かなくなった虫のことを思う。 蝉の歌のように、言葉でなく彼女に伝える事ができたら。
「あ、いや、その… そうだ、お酒 足りてる?」
「はい、大丈夫です…」
 ああ、蝉よ、今だけで良い、鳴いていてくれ。 沈黙はつらい。
エフ雅は気づかぬ内にすっかり眉間に皺を寄せて、エイ美と同じぎこちない笑みを浮べていた。



 そんな人間たちの様子を、少し離れた桜の疎林の中から、かつて『夏の風物詩』と呼ばれていた虫たちが見ていた。
『見ろよ、ニンゲンがコンパやってる(笑)』
 セミの彼氏は、傍らにいる恋人に笑いかける。
『あーほんとだ。 ねえ もういいでしょ。 外は暑いよ。 はやく地中に戻ろう』
『まあ待てって。 ほら見てみ、あそこで肉焼いてる男。 こりゃ、隣の女にご執心だな。』
 興味の薄そうな彼女は、複眼の目で苦笑いした。
『ほんとだ。 億手を発揮してる(苦笑)』
『じれったいよなー、ニンゲンて。 相変わらず口に出さなきゃ考えてる事を伝えられないんだぜ。 俺らのご先祖が外で騒いでた時からずっとそうなんだって。 いつになったら進化すんのと思わん?』
『ほんとだねー。』
『あの手の会合じゃ、うまくいく奴ってのは決まってるのになあ。 学ばねーよなあ。』
 セミ彼氏は、コンパをする人々を見つめた。 意気投合しているのはたったひと組の男女だけで、相手が気になっているのに会話が続いていない例の二人組みがいるにはいるが、他は無理に集まって中身のない会話に興じている。
『必要のない会話を延々つづけて、自分を好きになってほしいっていう核心部分は切り出せないままでさぁ。 マジ、あれに、なんの意味があんのかわかんね。』
『ま、どうでも良いけどね、ニンゲンのことなんて。 だから暑いんだって。 あたしもう帰るよ』
 彼女はぷいとそっぽを向いて地面の穴へと引き返した。 彼氏は、慌ててその後を追った。

 今や、セミは夏の空に歌うことをしない。
 彼ら雄ゼミは進化の末、地中無線通信システムに代わる器官を、かつては空だった共鳴室の中に生み出した。
一方で雌は、電磁波受信機に代わる器官を備えた。 その結果、天敵の溢れる空へと羽ばたく必要はなくなり、かつて抜け殻としていた姿のまま、一生を地中で過ごす事にしたのである。
 地中の天敵に対応する為に、その姿は大きく、強く変化した。 ケラやゴミムシなど、もはや眼中にはない。

 地球の夏空に、もう彼らの鳴き声は聞こえない。
 念じれば同じ地中にいる同胞に呼びかける事ができるのだ。
恋がしたければそう念じれば良い。
だが、『僕を好きになってください』だとか、『エロい事をさせて下さい』なんて言葉は、人間だけじゃなく、セミにしたって使うのは気が引ける。 その為にこそ、歌があるのだ。
 それは、
『ニーニー☆』 であり、
『ミンミン♪』 であり、
『オーシ ツクツク♥』 である。
セミだって、言いづらい事は包み隠すのである。

 近い将来にセミの電磁波言語が解読されるまで、人類は地中に広がる恋の楽園の存在をまだ知らない。
今日も地面の下は、無音を奏でる恋の歌で溢れている。



 了



2011.12.07 Update.

  


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