『 寝言 』
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 私には、鈴木という名前の、もう10年以上の付き合いになる友人がいるのですが、この男、昔っから女癖が悪くてね。
自分が貰ったバレンタインのチョコレートを、ホワイトデーに他の女の子に渡すような非道い男なんです。
 それでも人当たりは良いし、サッカー部でスポーツもたいへん上手だったので、昔から女の子には随分もてていたんですね。 私は傍で見ていてとても羨ましかったのを覚えています。

 中学の夏に、私が当時片想いしていた人が、鈴木に告白をしました。
 高城 素子さんという、髪の短い、小柄で優しい女の子です。
 私は、彼女に頼まれて、鈴木に好きな女の子がいないかとか、どんな女の子がタイプかなんて事を、探偵の真似事をして調べたりしました。 断れなかったんですね。 そんな馬鹿馬鹿しい用件でも、高城さんに何か頼みごとをされるのは、私にとっては嬉しいことでしたから。
 高城さんと私は同じ陸上部で、告白は、夏休みの練習の日にしようと決めました。 同じく夏休み練習に来ているサッカー部のお昼休憩を狙って、私が彼を校舎裏に呼び出しました。
 蝉が、五月蝿いくらい鳴いていたのを覚えています。
 大きな入道雲が、いまにも体育館を飲み込むかのように浮かんでいました。

「鈴木。 高城さんが、お前に話があるんだってさ」
 友人にそう話を切り出したとき、私は自分には何も関係がないのに、ひどく狼狽していました。
「何の話?」
「さあ、知らない。」
 彼女の待っている場所に行くように鈴木に告げて、私は、校舎裏の近くの、部室の影に隠れました。
 校舎の裏は風がなく、とても暑くて、私達はみんな汗にまみれて、煩い自分の心臓の音を聞いていました。


 その日、素子さんは、鈴木に振られてしまいました。
 目に涙を浮べたままの彼女は、小さな唇を一文字に結んで、
「“寝言言うなよ”って、笑われた」
と、言いました。
 私は、「鈴木の奴 断るにしたって、なんて事言うんだ」と思いましたよ。 そりゃあね。
そしてもう一方で、素子さんが振られたという事実に、私は卑しくも喜んでいました。
無意識のうちに頭の中で、もう鈴木の悪口を考えていました。
鈴木を悪者に仕立て上げて、弱っている素子さんに取り入ろうと考えていたのです。
 彼女は、涙ひとつをこぼして、「でも、あきらめないの」 と、強がりました。
私はただ、自分の心の醜さに、惨めになるばかりでした。

 夏が終わって、部活を引退して、彼女が鈴木と同じ県立の進学校を第一志望にした時、私の片想いは終わりました。
「あきらめない」という言葉を継続する彼女への想いを、私はゆるやかにあきらめていきました。 私はどうせ鈴木にはなれないと思ったんです。
 だから、もう鈴木と彼女が一緒にいるのを 見たくない。 彼らを見ていると、私は自分の心がどんどん卑屈に俯いていくのを感じていました。
 結局私は、別の高校を第一志望にし、部活を引退してからは、高城さんと話をすることもあまりないまま、私達は中学を卒業しました。
 私の人生からは高城さんだけが姿を消し、鈴木との友情は途切れないまま、その後も続いたのでした。

 高校でも、大学でも、相変わらず鈴木は女癖の悪い男でしたね。
同時に何人もの女性と付き合いながら、よく平気でいられるなと、私は理解が出来ませんでしたけど、一方で彼に憧れているのも事実でした。
鈴木に、そういう危険な魅力を感じているのは、私だけではなく、彼に付き合う女性たちも、たぶん同じなんだろうなあと思います。
 だからこいつの女癖だけは、一生直らないのだろうなあーなんて、部外者の私はそう思って、もはや注意することもなく、ただ傍観していたんですが――1年前、大学生として過ごす最後の夏休みを境にして、どういうわけか彼の女癖の悪さはぴたりとやみました。
 その年の夏は、私にとっては、何の思い出もない夏でした。
 ただ、暑い夏でした。

 鈴木の女癖が止んだのは、彼が努めて女性を遠ざけているわけではありませんでした。 昨年の夏 以来、女性の側から、鈴木の元を離れていくようになったのです。
 今までと同じように、付き合い始めは順調にいくのですが、一晩を過ごすと、翌朝に彼女は青ざめた顔をして、逃げるようにして去っていくのだそうです。
 鈴木が話した、そんな嘘のような相談を、私は笑い話にしました。
「お前、さては寝言で別の女の事でもしゃべってんじゃないの。」
 鈴木は、そうかもしれないな、と笑っていました。
 ――でも、そうじゃなかったんですね。


「あー、飲みすぎた。 今日おまえんち泊めてくれよ。」
 私の自宅で二人で飲んでいる時に、鈴木が言いました。
 夜はもうすっかり更けて、時計の針は午前2時に指しかかろうとしています。
帰りの電車はないし、彼はなし崩しでにうちに泊まりこむつもりなんだろうと、はじめから思っていましたから、私は鈴木の為に、一台しかない扇風機を旋回してやりました。

 電気を消してしばらくすると、鈴木はさっそく鼾(いびき)をかきはじめました。
 怪獣が鳴いているような、撥条(ぜんまい)式の玩具を走らせているような、なんとも不快な鼾です。 そうだ、こいつ鼾かくんだったなあ。 私は、鈴木より先に眠りにつかなかったことを後悔しました。
あんまりうるさければ、起こしてやる。 そう思って寝返りを打って、目を閉じたんです。

 エアコンの無い室内は蒸し暑く、開いた網戸から差し込む風はほんとうに微かなもので、私は汗をかきながら、寝苦しいベッドの端を、行ったりきたりしていました。


『ゆるせない』


 何か声が聞えた気がして、私は目を開きました。
気がつけば、鈴木の鼾がうそのようにぴたりと止まっていました。
聞えるのは扇風機の羽の音と、窓の外の、微かな虫の音だけでした。
その中で、びっくりするくらいにはっきりと、鈴木が言ったのです。


『絶対にゆるさない』


「・・・鈴木?」


『くやしい…痛い…どうして…』


「おい、鈴木、どうしたんだよ」

 私は思わず、鈴木に声を掛けました。
鈴木はソファのひじかけに頭をもたせたまま、その目は閉じられています。
 寝言でしょうか。 しかし、あまりにもはっきりとしゃべるのです。
ただうなされての寝言なら、起こしてやればいいでしょう。
しかし、ただならぬ声の調子に、私の身体は凍り付いたように動かなくなってしまいました。
その声は、たしかに鈴木の声なのに、若い女の声のようにも聞えたのです。


『私の事、好きだって言ったのに、どうして殴るの? ねえ、どうしてそんな嘘つくの? 私をもてあそんで楽しかった? 私はね、許さないよ。 絶対に許さない。 ゆるさない、ゆるさない、ゆるさないゆるさないゆるさない…』


 私は、思わず耳を覆いました。
鈴木は狂ったように、怨嗟の言葉をつづけました。
泣いているような、哀しい声でした。
私は頭を抱えて、夜明けまで、ずっと震えていました。
――私は、その声を、どこかで聞いたことがありました。


 私にとってはただ空虚だった昨年の夏。
あの夏に、一体何があったのか、私はつい最近になって知りました。
――調べたのです。 いつか誰かに頼まれたように、探偵の真似事をして。

 あの夏、鈴木の当時の恋人が亡くなっていました。
鈴木の浮気と暴力に傷つき、失意の果てに、自らの命を絶たれたのだそうです。
それは、私が昔 恋をした、高城素子さんでした。
 彼女は、きっと死んでしまってからも、悔いのあまりにこの世を離れられないのでしょう。 鈴木の傍にいて、夜ごと哀しい声で訴えかけるのでしょう。
鈴木は、未だ、彼女の存在に気づいてはいません。


 私は高城さんの友人から、彼女が鈴木と、結婚の約束をしていたのだという話を、聞きました。 お腹に、鈴木との赤ちゃんがいたという話も、その子を、おろさせられたという事も。
不幸にも、それらは全て真実のようでした。
「ああ、俺も、辛かった。」
私が問うと、鈴木はあっさりと答えました。
言葉とは裏腹に、まったく感情のこもっていない顔で、私を見ました。
傷つけてしまって、今は後悔している、と鈴木は言いました。
でも、俺だって辛かったんだと。

辛かったのは、お前じゃない。 私は声にせずに唇を結びました。
辛かったのは――

 鈴木は、高城さんが自分を慕っているのを良い事に、彼女から、自分が遊ぶ金をまきあげ、その金で他の女と遊びまわっていたのです。
 追いすがる彼女を殴り、“お前と結婚なんかする訳ない、寝言を言うな”と言ったのだそうです。

 それを聞いた私がどんなに哀しかったか、わかりますか。
許せないと思いました。
10年以上の付き合いになる親友が、そんな人間であると気づきもしない――事もあろうに、憧れさえ抱いていた自分自身にも、言い様のない怒りを感じました。



 ――今夜ね、鈴木が、私の家に泊まりにくるんです。
彼女は今夜も苦しみの淵から、哀しい声で、忘れがたい積怨を紡ぐでしょう。
私は、それを、叶えてしまうかもしれません。
彼女がもう、哀しい声を上げなくても良いように。
いいえ、単に私が、ふたりが一緒にいるのを、見たくないだけなのかもしれませんね。

 チャイムが鳴りました。 私は洗ったばかりの庖丁をまな板の上にのせて、玄関の鍵を開きに向かいます。

「ああ、今、開けるよ。」

――その後のことは、今はまだわかりません。 

 

  

  

2011.07.08 Update.

   

 
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