終末論の日のふたり
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「――今日世界が終わるんだって。」
社員食堂の窓際の特等席に腰掛けた彼女は、浮かない表情で、うどんに浮かんだ掻揚げをあそんでいる。
箸の先が触れるとしずみ、離すと浮かび上がる浮き輪のような掻揚げは、ほうっておくと無限大に広がっていく彼女の不安の暗喩のようだ。
「あー、そお。」
一体いくつになったら、この子は占いから卒業できるんだろうなぁ。
「名古屋に行けば助かるらしいんだけど、ほんとかな…」
なんて、独り語ちている。 なんで名古屋なんだよ。
対面する僕の心は、呆れとも愛しさともつかない感情と、柳川煮のごぼうに対する予想外の好評とがシーソーしていた。
「ほんとに終わりなんだったら、やばいじゃん。 働いてていいのかな、あたし」
半分ほど残されたうどんをつまみ上げ、彼女は、「物憂げです」といった溜息をつく。
さっさと自分の昼食を進めながら、僕は思わず、苦笑いになってしまう。
「働きなさいよ武川さん、雇われてんだからさ…」
「…いや、いやちょっと待ってよ竹内くん、ちょっと真面目に考えてみて? マジで今日で終わりだったらどうすんの?」
どうやらムキになりはじめたぞ。 これはめんどくさい。
「あー、そうだなぁ。 まあ特に何もしない。 …でもどうせ終わるんなら、夜はやだな。 一日の最後だったらさ、今日一日働いて疲れた分損じゃね? 終わるんだったら、朝イチで終わってほしかったよね。」
「ほんとだ。」
武川さんは納得した後で、思い直したように、「いや、その可能性が現在進行形なんだって」とグーを握りしめた。
「じゃ逆に聞くけど、武川さんは最後に何かしたいことあんの」
「めっちゃある。 まずグランドイーストホテルのスイーツバイキングに行く。 経理でまだ行ってないの、私だけなんだよー」
もう うどんの事はそっちのけで、武川さんは夢想をはじめた。 人生の最後だというのに、何故だか「安くて美味くて種類が多い」をウリにしている店に行きたいらしい。 深刻な表情なのが、また笑える。
僕は、ダメ出しをした。
「小さい小さい! どうせならさ、最高級レストランで支払いできないくらい食べるとか言いなって」
「あー、それいいねえ。 で、お腹いっぱいになったときにちょうど終末が来ると。」
「――いいや、お会計のタイミングと終末のタイミングがずれて、武川さん、払えずにお店の人にめっちゃ怒られんだよ。 で、その後につつがなく世界が終了する、と。」
「えー、なんで! そんな最期は嫌!」
――あ。 やっと笑った。
やはり武川さんには、深刻な表情は似合わんな。 と思う。
ネットで見たけれど、マヤ文明の『人類滅亡説』は、現地の人々もあまり信じていないのだそうだ。
僕の見た情報では、終末でなくて「新しい時代のはじまり」とする意見が有力なのだとか。
正直言って、目の前の仕事が最優先の役割である僕達には、師走の21日はただの冬至である。
きっとたぶん、世界は終わらずに、みんな、かぼちゃとかれんこんとかを夕食のメニューに織り込んだり、「ゆず湯かぁ、いいなあ」なんて思いながら帰宅の途に着くのだ。
大人げないこの人は、やきもきした懸念が空振りしたその時、誰と、どうしているんだろう。
「武川さんて、彼氏いたっけ?」
「はいっ?」
「思い残すこといっぱいあるならさ、今晩行こうか、スイーツバイキング。」
そうだよ、クリスマスも近いことだしさ。
「世界の最期くらい、好きな人と好きな事したいんだ。 どう?奢っちゃるからさ」
伸び始めたうどんの上で、ぽかんとした表情を浮べたままの同僚が固まっている。
僕は煙草を吸いに行きたくて、いつもどおりに「ほんじゃお先」と席を立つ。
慌てて振り返る武川さんに、「またあとでメールする」と笑いかけた。
ノストラダムスの予言の時もきっと慌てたであろう彼女は、ただ赤い顔をして、こっちを見ていた。
喫煙所までの長い廊下を歩きながら、そわそわと思わず早足になる。
果たして僕と武川さんに、「新しい時代の始まり」は、訪れるんだろうか。
あまく占ってくれる人ならば、信じてやってもいいかなと思う。
2010.12.21 Update.