『 たてぶえ 』 1 / 2 / 3
――――――――――――――――――――――――― 2日目
時計の針は3時半を指している。
放課後の教室にやってきた千嶋 良太は、誰も居ない教室を眺めてごくりと喉を鳴らした。
6時間目が終わった後、良太は一度この教室を出たはずだった。
いつも一緒に帰っている、親友の博といっしょに。
2人の帰り道は、学校と自宅との、ちょうど中間くらいまで一緒だ。
その中間地点には、いつも駄菓子を買う酒屋さんがある。
「今日は、寄ってく?」
酒屋の自販機の前で、博はいつものように良太に聞いた。
良太はぎゅっと心臓をわしづかみにされたような気持ちで、ぎこちなく笑った。
「わるい、今日はちょっと用事あるから、おれ帰るわ。」
「そうかぁ。」
「わるいな。」
不安げに、博が良太を見上げて言った。
「あのことは、誰にも言わんとってや。」
良太は精一杯取り繕った笑顔で、
「男の約束やって言うたやろ。 誰にも言わん。」
2人は手を振り合って、酒屋の前の、西は下り坂、東は上り坂になっている通りを、良太は西へ、博は東へと、それぞれの家路についた。
――が、その数分後。
もと来た坂道を全速力で、良太は引き返してきた。
理由はひとつ。
とんでもない事を聞いてしまったからだ。
それは昼休みにいつものようにクラスみんなで、運動場で探偵をしていた時のことだった。
運良く盗っ人役になれた良太と博は、ものかげを転々と移動しながら、あたりを徘徊する探偵たちの目をしのいでいた。
2人はいつも一緒なので、逃げるときも一緒だ。
一緒に走って逃げるときは、博は足が遅いので、まっさきにつかまりそうになる。
そんな時は良太は自ら進んで博の身代わりになり、牢屋に収監されるのだが、収監された友人を解放するほどの脚力をもちあわせていない博は、
「お前がおらんとつまらんもん。」
と言い、わざとつかまって牢屋に入ってくる。
博が探偵になった時は、誰も捕まえる事ができないので大体看守をやらされている。
そんな時は良太もつまらないので、わざとつかまって牢屋に入ってくるのだった。
校舎の影にうまく隠れた二人は、探偵の動きを気にしながらひそひそ話をはじめた。
「そっち、きてる? リョータ。」
「ううん。 きてへん。」
「あのさ、リョータ。 …ちょっと、聞いてほしいことがあるんやけど。」
真剣な響きをもった親友の声に、良太は見張っていた視線をうしろに向ける。
「なに?」
博は、笑っているような、強張っているような、複雑な表情を浮かべていた。
「おれ、もう死んでも天国行かれへんかもしらんわ。」
「何や、いきなり。 なんの話?」
ぐったりした親友の態度に、良太は目を見張って問いかけた。
「なんか悪いことしたんか?」
「…うん。」
「なにしたんヒロ。」
「絶対誰にも言わんとってくれるか?」
それは内容次第やけど、という言葉を飲み込んで、良太はうんと頷いた。
「…実は―― 本洲の笛の先っちょを、交換してん、おれの笛と。」
え、何? それだけ? と思って溜息をつきかけた良太は、その事実が指し示す結果にたどり着いたとき、頭を殴られたかのようなショックを覚えた。
「――え、あ。」
「じ、実はおれ、本洲のこと好きやねんわ。」
真っ赤な顔で、親友は足元を見て言った。
「――そ、そう。 なんや。」
オレもや。 と言い出せず、口をつぐむ。
「このこと、誰にもいわんとってや。」
「…うん、わかった、男の約束な。」
こんなこと、親友にしか話されへんわ。 と言った博の声に、良太はもう何も答えられなかった。
好きな女子の話が、良太はすごく苦手だった。
席替えの話なんかになると、大抵セットでその話題になるので、良太は不機嫌を装って会話に参加しないようにしていた。
本心は誰にも言ったことがない。
良太は、本洲 撫子に恋をしていた。
(こんなこと考えるなんて、おれは最低の男やな)
いつも走りまわっている教室の空気が、すごく息苦しく感じた。
重い足をひきずるようにして、好きな女の子の席に近づく。
本洲撫子の席は、良太のひとつ前だ。 本当は隣になれれば最高だったけれど、
この間の席替えでこの席になったとき、良太はすごく嬉しかった。
心臓の音がばくばくとうるさい。
机にかけた手提げ袋から、白いリコーダー袋が覗いている。
(ごめん、ヒロ)
心の中で、親友に謝り、手を伸ばした。 その時。
ガラガラと教室の扉が開いて、誰かが入ってきた。
「…きゃっ、びっくりした!」
聞き覚えのある声に、一瞬呼吸が止まる。
本洲撫子だった。
「…な、なんやねん。 こっちの台詞やわ。 あーー、びっくりした!!」
持ち前の運動神経で咄嗟に自席までスライド移動した良太が、振り向いて大声を返す。
陽の光をうけて、一層彼女が輝いているように見えた。
冬だというのに、良太はやけに汗をかいていた。
「何してんの?」
「何って、忘れ物とりにきてん。 見たらわかるやろ。」
いつものぶっきらぼうで、良太はそっぽを向いた。
「あ、そうなんや…わざわざドア閉めんでも。」
「うっさい和田アツコ。 そーゆーお前は何しに来てん。」
「あーしも、算数のドリル忘れたから。」
撫子はさっさと良太の前を横切り、自分の机から青い算数ドリルを抜き出した。
まだ机をごそごそやっている良太をちらりと見て、問いかける。
「まだみつかれへんの?」
「お、おう。 おっかしいな。 たしかに机に入ってるはずなんやけど。」
「バチがあたったんやな。」
くすくすと笑う撫子の声に、良太はムキになる。
「バチって何やねん!」
「あーしら女子に、いっつもいじわるばっかりするから。」
「うっさいわブス。 だまってろ」
良太はオーバーに教科書を投げつけるフリをする。
撫子はきゃーと教室の入り口まで逃げて、振り向き、おどけた笑顔で言った。
「あんたさぁ、あーしのこと好きやから、いじわるすんねやろ!」
「アホか。 違うわ!!!」
あはは、と笑って立ち去る撫子の姿を目で追いながら、良太は同じ言葉を、自分自身に重ねていた。
誰もいなくなった教室で、もう一度、撫子のリコーダー袋をその手に取る。
その頭部管を外して、傍らに置いた自分のたてぶえと、交換する。
彼女のたてぶえをそっと手提げ袋にもどして、良太はとぼとぼと教室を後にした。
最初 良太は、博のたてぶえと撫子のたてぶえの頭部管を取替え、元の状態に戻すつもりだった。
そうするつもりだったのに、気が付いたら自分のリコーダー袋を取り出していた。
(わるいヒロ、おれも地獄行きやな。 ……でも、共犯やで。 本洲のたてぶえについてるのがおれの頭部管で、お前のたてぶえについてるのは本洲の頭部管なんやから。)
地獄で親友にあったら、そのときは正直に「おれも本洲が好きで、間接キスしたかったから」と告げようと思った。
いつもの探偵の時のように、「お前がおらんとつまらんもん。」と笑って牢屋に入ってくる親友には、
あんまり過ぎる仕打ちだと思ったけれど。
誰もいない空間に向かって、「好きッス。」と言ってみた。
良太には、やっぱり同じことを撫子に言うのは不可能な気がした。
つづく。
2010.01.29 Update.