『 ゾンビハンター 』
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深い森の中に、外界と遮断された小さな世界があった。森の中に立つ一軒家には男がひとり、誰と馴れ合うこともなく暮らしている。
彼にとっては森が祖父母であり、動物たちが兄弟だった。 唯一の肉親である両親を亡くした後は、10年もの間 この一軒家を守り続けている。
ただ独りの生活ではあったが、寂しくなどなかった。 ただ毎日を、緊張した面持ちで過ごしていた。
瑞々しい緑を称えた山林を踊る木漏れ日も、風のない夜に月を映し出す澄んだ湖も、今日で見納めとなるかもしれない。 それをくい止めるめる事が出来るのは、自分だけだ。 そう考えれば、寂しさなど、毛の先ほども感じることはなかった。
男の血脈には、大きなひとつの使命がある。
魂亡く生を謳歌するもの。 生者の血を求め彷徨する、人ならざる人。
死の掟に順(まつろ)わぬ、不死者を狩るという使命。 彼の父はこの使命をゾンビハンターと呼んだ。
かの父の言によれば、人間と不死者との戦いは、はるか太古の昔より続いてきたのだ。
当時は彼の系譜だけでなく、多くのハンターが戦士として生計を立てていた。 しかし21世紀の現代では、いまやこの地球上でハンターとしての使命を担うものは、彼の系譜のみなのだという。
『ワシもじいさんから伝え聞いた話だが、曽祖父の時代に、 “ハンターなんてモテない職業、今日びやってられるか” と、多くの不心得なハンターがその職を捨てたのだ。 彼らは禁忌を犯して、酒場に繰り出した。 ワシ等のご先祖はただひたむきに、己の使命と向き合ってこられたのだ。 お前は、それを誇っていい。』
ハンターとして生きるものには、多くの責任と、そして守らねばならない掟が科せられる。
ひとつ、ハンターであるものは、外界と親交を持ってはならない。 外の世界は、誘惑が多すぎるからだ。 心の隙を悪魔につけこまれ、他の愚かなハンターのように、大切な使命を投げ出してしまう過ちは、決して冒してはならない。
買出しに人里へ出掛けることや、入ったお店で『いらっしゃいませ』と声をかけられる程度なら問題はないが、酒場で店主と冗談を交わし、女性を口説くなどは論外である。
ふたつ、ハンターであるものは、決して自らの力を過信してはならない。
不死者を浄化する事が出来るのは、ハンターが神より預かった借り物の力である。 その力に酔い、慢心しないよう、常に、己の精神と肉体の鍛錬を力行しなくてはならない。
そして、最後に、ハンターであるものは、私を捨て、己の魂を賭して、不死者と戦わねばならない。
ゾンビは、生者を食らい、その骸を従え、より多くの生者を襲う。 その負の連鎖は、一度引き起こされれば大惨事となる。 彼らはこの世界に存してはならない存在だ。 ハンターたるもの、不死者を追うためならば、私財を投ずる事も厭わない。 そして、たとえ刺し違えてでも、浄化せねばならない。
狩人の男は、もちろん、それらの掟を忠実に守っていた。 しかしただ1点、最後の掟だけは、実践したことがなかった。
ゾンビと呼ばれる存在を、男は見たことが無かったのである。
言い伝えにより、死から蘇った者であること、生きている者を食らって仲間を増やすこと、動きが緩慢であることなどの断片的な情報は耳にしている。 だがしかし、彼は本物のゾンビを見たことが無い。
彼だけではなく、 彼の父もまた、一度も不死者と戦うことなくこの世を去った。
父から受け継いだ言い伝えによれば、19世紀以後、地獄の釜はその口を閉ざし、それ以降、この地上で不死者が現れたという記録は残されていないらしい。
しかし、放念してはならない。 不死者は、いつ、どこでその姿を現すやもしれないのだ。
男は、優しく厳しい父がそうであったように、毎日 精神と肉体の鍛錬を欠かさなかった。
不死者が現れれば、必ず浄化の依頼がやってくるだろう。
いつか来るその時のため、男はテープ起こしや在宅チラシの内職などをして食いつなぎ、不死者との戦いに備えていた。
夕食を終えると、男は書斎の扉を開き、デスクトップPCの電源をオンにする。 ブラウザのお気に入りから辿ったリンク先は、大手SNSサイトだ。
遊びではない。 SNSのアカウントを作成したのは、あくまで情報収集のためである。 彼は外界との親交は禁じられている。
生前彼の父がブロードバンド環境を整えてくれたおかげで、ゾンビの情報収集には事欠かない。
画像や動画で見かけるステレオタイプなゾンビ像が、果たして本当に自らが狩るべき『ゾンビ』と同一なのかという点には疑問が残るが、それでも知識として知っておく事は必要だ。
彼は世界の何処かで不死者が発生した際に、自分の元にいち早くSOSが届けられるように、このSNSサイトの他にも、ミクシィやフェイスブックをはじめ、様々なサービスを掛け持ちで登録し、果てはツイッターまで、手広く行っていた。 ツイッターに関しては、フォローされなければつぶやきが届かないという事を知ってアカウントを削除したが。
真剣なまなざしで、ブラウザ上に残った足跡や、寄せられたメッセージを確認してゆく。
どうやら――今日も、世界は平和を保てたようだ。 男は深い息をつき、今日の日記を、短く綴った。
『今日もゾンビは現れなかったようだ。 世界が今日も平和でよかった。 未来永劫、誰かがゾンビと戦う事などない世界になってほしいと、切に願っています。』
はたと思い直す。 不死者と戦う事などない世界?
奴等は地下にもぐっただけだ。 地獄の釜が開けば、きっとそこから這い出たものは人を襲うだろう。
これでは自らの使命に泣き言を言っているようだ。 男は後半のメッセージを書き直した。
『世界のどこかでゾンビに被害を受けている方、いらっしゃるならば、私にメッセージを下さい。』
翌日、1件のメッセージが届いた。
『zombie_hunter0420さん、はじめまして。 私達はゾンビに苦しめられています。 やつらは我々が正当な力でねじ伏せても、すぐにまた蘇ります。 どうにかして退治できないものでしょうか。』
男は、ついにこのときが来たのかと、武者震いして勇み立った。
依頼人だ。 言い伝えの通り、依頼者は自ずから、ハンターを探し出し、SOSを送ってきたのだ。
メッセージの送り主は、日本人とある。
極東の島国は、さぞ奴らに苦しめられているに違いない。 助けに行かねばならぬ。
『安心して下さい、日本の方。 わたくしゾンビハンターが浄化してみせましょう。 ゾンビの情報を詳しく教えていただけますか。 日本の、どの地方で、発生しているのか、また、ゾンビの顔写真などの情報があれば、より助かります。』
日本人からは、追ってゾンビの名前と顔写真を一覧にしたHPのURLが送られてきた。
事態は急を要する。 男はそれをプリントアウトすると、すぐに旅立ちの準備を始めた。
厳重に封印が施された家宝の匣を開き、先祖代々受け継がれてきた、聖なる杖を手に取る。
ゾンビの動きは緩慢であり、奴らと対峙するのに、厳重な武装は必要ない。 これで頭部を砕く。 それで浄化することができるはずだ。
彼の胸中には、ゾンビに対する怒りが渦を巻いて燃え盛った。 また一方で、何処かで戦いに胸躍る自分がいることも、認めていた。 恐らくこれこそが、ハンターとして生まれついたものの性なのだろうと、男は思った。
父がなし得なかった戦いを、今度は息子である自分が、引き受ける。
男はバックパックに旅の用意を終えると、瞑目して、先祖の英霊達に健闘を誓った。
「必ず、勝って戻ってきます。」
そして、テーブルに広げた日本のゾンビ達を一瞥した。
「ゾンビめ。 今、浄化してやるぞ。」
蕩けるようなランプの光に照らされたプリント紙には、小選挙区で落選し、比例代表選挙で当選した与野党の議員達が、無邪気な作り笑顔を浮べていた。
了
2011.02.28 Update.