『 ペンギン・マター 』
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緒方夏海、と原稿用紙の二行目下段に名前を書く。
お母さんがあまりにも宿題しろとうるさいものだから、とりあえず夏休みの宿題で出た読書感想文を取り出してはみたものの、名前を書くだけで夏海の手はストップしてしまった。
(あー、海に行きたいなあ)
自分の名前をじいとみつめて、深い深い吐息をついた。
せっかくの、夏なのだ。 新しい水着を買ってもらって、海水浴に出かけたい。
弟の雪丸は“山派”だけれど、夏海は名前の通り、断然 “海派”だった。 しかし、お父さんの実家には、海が無かった。 地図を見れば海にも近いはずなのだが、「ひょっとして嘘なんじゃないか」と思ってしまうほど、お家のまわりは山と田んぼだらけだ。
縁側から空を見上げると、青々とした山の上を行く入道雲は、音も無く膨らんでいる。
夏海はそれを、自分のやりきれない思いと重ねて、むくむくと膨張していくのを黙って見つめていた。
小学校2年生の夏海にとって、関西の片田舎にある『お父さんの実家』で過ごす夏休みは、退屈きわまる毎日だった。
緑色ばかりで変化の無い風景にも飽きたし、近くにCDレンタルショップはおろか、コンビニすら無い事にも納得がいかなかった。 友人たちと過ごした故郷が恋しい。
“プレイステーション” と “ガソリンスタンド”の違いがわからない祖母とはうまく会話ができず、鞄にはちきれんばかりに詰めてきたボードゲームや漫画はすぐに飽きて、茫漠とした時間ばかりを抱える。
ここと似たような田舎で育ったというお母さんは、「外で遊べばいいじゃない?」と煙たそうに言うが、眩暈のするような猛暑の中でセミを追いかけることに、夏海はなんの意義も見出せないのであった。 むしろ、「命の危険が伴う」と感じていた。 雪丸の慣れない虫取りに付き合うくらいなら、縁側で眠くない昼寝をしていたほうがまだマシだ。
都会にあって、田舎にないものはたくさんあったが、その逆は数えるほどしかなく、あっても必ずしも『良い物』だとはいえなかった。 たとえば、夜眠る時にカエルや虫の鳴き声がうるさいとか、蚊がものすごく多いとか。 この田舎で得をしたと思えたのは、夜、星が綺麗に見えることくらいだ。
月の明るい夜に、懐中電灯を持って虫取りに出かけるのは、探検っぽくて少しワクワクした。 ――のだけれど、それも初めのうちだけだった。
樹液に集まる虫たちの中に巨大なゴキブリを見つけたとき、競い合うように群がるカブトムシへの憧れは粉々に砕け、その破片が散らばる足元に、毒々しいムカデが這いずるのを見つけた時には、既に『ワクワク』は、『帰りたい!』という思いに変わっていた。
弟の雪丸はどんな状況でもそれなりに楽しんで、能天気に笑いながら、変哲のない日々を絵日記に書いていたが、夏海には毎日、母親の「宿題しなさいよ」という声ばかりがデジャブする。
じっとりと汗ばむ真昼の熱気にうんざりとして、夏海は扇風機の羽にむかって、あーー、と鬱憤を吐き出した。
それは回る羽根に触れてぷるぷると震えるばかりで、風にのって飛んでいってはくれなかった。
☆
そんな夏休みの、ある夜の事だ。
夏海と雪丸が縁側でスイカを食べていると、空に異変が起きた。
「なー、おねえちゃん、あれなんやろう」
はじめに気づいたのは雪丸で、好物のスイカに夢中な夏海は、全然気がついていなかった。 雪丸の指差す先を見ると、月の綺麗な夜空の中に、ゆらゆらと輝く光点が留まっている。
それは、上空を止まったり進んだりと迷うように飛んでいて、徐々に高度を下げていた。
「飛行機?」
「うーん、点滅してへんよ」
「じゃあ星じゃない?」
「動きようけどなあ」
「もしかして……UFOかな?」
冗談半分でそう言うと、雪丸は期待にほっぺを膨らませた。
「そうかな…?!」
それがなんだかカンにさわって、夏海は「まあ、そんなわけないけどね」と取り下げてみる。
途端に雪丸はがっくりしたような表情になって、「ぼくはUFOやと思うけど」と自信なさげに食い下がった。
毎年 田舎にくるたびに、雪丸の「あれUFO?!」に付き合わされている夏海としては、すこし愉快な気分だった。
…とはいえ翼端灯の点滅が無いので、確かに飛行機ではなさそうだった。 時折ゆらりと上昇することから、流れ星でもないと思われる。
「あ、落ちそう」
光点は、ゆっくりと、だが確実に高度を下げていく。 雪丸には、どうやら自分達の方に向かって落ちてきているように見えたが、その のんびりとしたような落下を見て、夏海が「もし流れ星やったら、願いかけとかな損やなあ」と手を合わせて願い事を始めたので、雪丸も慌ててそれに倣った。
二人の願い事が、たっぷり三回唱えられた直後、銀色の光は、本当に家の前の向かい田んぼに落ちてきた。
どっしーんという大きなものが落ちる音と、微かな土煙が立つのがわかった。 ぶわりと強い風が吹いて、障子が音を立てて揺れた。
何が起きたのかわからずぽかんと顔を見合わせる姉と弟だったが、はっと我に返ると、夏海は大きな声で叫んだ。
「ロズウェルや!!」
そして四つんばいのまま懐中電灯を取りに走った。
「おねえちゃん、ロズウェルって何?!」
弾けるように後に続きながら、雪丸は好奇心にキラキラと瞳を輝かせた。
大きな音と振動は家の中まで伝わっていたらしく、お母さんとおばあちゃんも何事かと出てきた。
母の幟(のぼり)さんは、「星が落ちてきた」「いやちがう、UFOが落ちた!」と口々に意見を述べる子供達を制すると、夏海から懐中電灯を受け取って縁側から外に出た。
「お義母さん、あたしちょっと見てきます」
「わたしも行く!」
「ユキも!」
「地震かもしらんから、いちおう、みんなで家の外に出よう」
結局緒方家の家族4人は、恐る恐る、真っ暗な田んぼ道へと歩き出した。
まだ実のならぬ水田の端に、それはあった。
つやつやと銀色に輝くタマゴ型の球体。 大人の半身くらいのサイズの巨大タマゴは、懐中電灯の光を反射して輝いていた。 底に触れている地面はわずかに落ち窪み、この物体が空から落下してきたのは間違いなさそうだ。
幟さんの中では『隕石』とも『UFO』ともかけ離れた形状だったが、姉と弟は「ほら隕石やった」「どうみてもUFOやん!」とまだ言い争っている。 普段は煩い虫の音は、今夜は何故かぴたりとやんでいて、風の凪いだ夜に、タマゴは冷たい輝きを浮べて静まっていた。
遠い遠いお隣さん宅には落下音が届かなかったのか、反応する民家もない。
幟さんは、家に戻って警察に電話すべきだろうかと考えた。 そんな彼女の背後に隠れるように、期待と恐怖が混ざった表情の姉弟が続き、二人のそのまた背後をアキさんが守るようにくっついて、固唾を呑んで見守る。 ほんのしばらくの沈黙のあとで、タマゴに変化があった。
中央にスーッと切れ目のようなスリットがはいったかとおもうと、くす球のように、そこからぱっかりと二つに分かれたのだ。
びくりと警戒を強くする家族の目の前で、光り輝くタマゴの内部から姿を現したのは、目の大きな灰色の宇宙人ではなく―――黒い羽毛をもつ、ペンギンだった。
弱りきったペンギンは、よろよろとした足取りで地面に降り立った。 そして、
『ちゃ、ちゃくりく成功だ』
と、一言日本語で言うと、力を失ってぱったりと倒れた。
☆ ☆ ☆
『俺は、あなた方の言葉で言うところの“宇宙人”なんだ。』
夏休みの水曜日に拾ったペンギンは、日本語が話せた。 歯の無いクチバシで、なんと『さしすせそ』までハッキリと発音した。 昨晩から緒方一家は、仰天続きである。 今思えば、タマゴから出てきた直後も人間の言葉を話していたような気もするが、それどころではなくすっかり忘れていた。
夕べ、タマゴから出てきたペンギンは、現れるなり、田んぼ道に倒れこんでしまった。
「大変、この子怪我してるわ」
元医師の幟(のぼり)は、ペンギンのフリッパーに裂傷を見つけると、手早く彼を両手に抱き抱えて、母屋に戻るようにみんなに呼びかけた。 何故ペンギンが空から降ってきたのか、訳のわからない事だらけだが、見過ごすことはできない。
長い髪をすばやく後ろで結わうと、腕まくりして、すばやく指示を飛ばす。
「ユキ、井戸からお水汲んできてちょうだい。 ナツは、救急箱取ってきて」
「うんっ」
「わかった!」
夏海は幟さんのことを、「ふだんは口うるさいしデリカシーのない人だけど、いざという時は頼りになるし、カッコイイ」と密かに尊敬している。
おばあちゃんのアキさんはうろたえて、狭い歩幅でトイレと縁側の間を、何度も何度も往復した。
そして、「のぼりさん、あんたトリのケガなんか診たことあるんかい」「あるわけないですよ。 私は内科医です。」というやり取りを、同じくらいの回数繰返した。
家族が一致協力して、なんとかペンギンのケガは出血も止まり、事なきを得たようであったが、長く蒸し暑い熱帯夜が明けた翌朝、目を覚ましたペンギンが、
『助けてくれてどうもありがとう。 俺はグィングィン星人のルルといいます。』
などと、人語で――それも日本語で――自分を「宇宙人だ」などと言いはじめたのだから大変だ。
幟さんはあいた口がふさがらず、アキさんは心臓発作を起こしそうになって、緒方一家は朝から再び、蜂の巣を突付いたような大騒ぎになった。
「つまり、こういうことね? あなたは、ギンギン星という星からやってきた宇宙人で、地球には行方不明の恋人を探しに来たと」
『ギンギン星ではなくて…グィングィン星です。 それ以外については、はい。 その通りです。』
緒方一家は、朝食の並ぶちゃぶ台を挟んで、地球の歴史上初めて、地球外生命との対峙を果たした。
アニメや映画では動物が話すシーンなど珍しくはないが、目の前で、実物のペンギンがしゃべっているのを見ると、なんともいえない違和感を感じた。 ペンギンの声が、若い男の声だったというのも原因のひとつかもしれない。
「きっと声を出してるやつがおる!」
雪丸は意外と用心深く、障子の裏を確認に走ったりとせわしない。 彼の大好きな探偵漫画では、助手が探偵に成り済まして、声マネで事件を解決するというのが定番なのだ。
姉の夏海の方は、ワクワクを抑えきれないといった表情で身を乗り出していた。 幸いな事と言うべきか、ルルからは敵意のようなものは感じられず、彼女の心境としては『可愛いペンギン』という所のようだ。
話を聞くに―― 銀色タマゴは、雪丸の推測どおり、ルルの乗る小型の宇宙ボートだったらしい。
燃料のトラブルで、墜落してしまったという。 玄関に運び込まれたタマゴ(朝一番に、アキさんが田んぼから拾ってきたが、おどろくほど軽かったらしい)を見たルルは、「ああ」と弱った声を出して額を抱えた。
『故障の程度は思っていたよりも深刻だ。 このままでは、艦に戻れない。 修理するには、しばらく時間がかかるでしょう。 』
困り果てたペンギンの様子に、夏海は、思わぬ提案を投げかけた。
「だったら、修理が終わるまでうちにいたら?」
「ちょっと、夏海!」
「ねえ、かまへんでしょ、おばあちゃん。 お母さんも、いつも、困っている人を見たら助けなさいって、言いよるやん」
「そういう問題じゃないでしょ。 そもそもペンギンは、寒いところに住む生き物なのよ。 ニッポンの夏で、過ごせるかどうかもわからないのに」
『あの、グィングィン星人です』
「わたし、勉強するから。 宿題だけじゃなくて、どうしたらペンギンが快適になるかも、ちゃんと本とか読んで世話するから、だからね、お願い!」
「そういう問題じゃないのよっ」
『ええと、だからペンギンじゃなくて俺は…』
幟さんと夏海は、朝ごはんそっちのけで激しいやりとりをはじめた。 雪丸は声を吹き替えている人がいない事をついに認め、ルルのふっくらした胸板を、つんつんと指でつついている。 戸惑う様子のルルを、しばらく黙って見つめていたアキさんが、ゆっくりと、口を開いた。
「みんな、やめなさい」
ぎょっとして、幟さんも、夏海も、雪丸も家主を見つめた。 ごほん、とひとつ咳払いをして、アキさんはルルに言った。
「あんた、ルルさんとゆうたね」
『はい』
「うちに居てもいいよ。 ただし、自分の面倒は自分で見る。 タマゴが直ったら、帰ってもらう。 それでええね?」
「お義母さん!」
「おばあちゃん!」
悲鳴のような幟さんの声と、嬉しそうな夏海の声が響いた。
『感謝します、長老さま』
異星人のルルは、ただ静かに、頭を下げた。
外から縁側を渡ってきた涼やかな風が、朝餉の湯気をふわりと揺らした。
☆
――一方、その頃。 地球を遠く望む、つめたい宇宙空間では、グィングィン星からやってきた特殊作戦隊の一団が、みな一様に沈痛な面持ちで、艦橋のスクリーンに映るアラートを眺めていた。
銀色の軍服を身につけ、黙祷をささげるように左胸にフリッパーを掲げている。
スクリーンに表示されているのは、ルル・ガーグィンの生体データと、潜入艇の暗号名だ。 どちらも動きはなく、画面には大写しのグィングィン語で『見失っちゃいました☆』と表示されている。
《なんということだ》
クチバシにオレンジの色差しをたくわえた艦長が、震える声を上げた。
《まさか、地球星人にやられたのか!》
《いいえ、それはありえません》
すぐさま応えたのは、脇に控える副艦長のゴゼットだ。
四角い軍帽を丸い頭に載せた参謀は、フリッパーで端末を操作しながら応答した。
《奴らの技術力では、我々の光学・電波迷彩技術を看破することは不可能です》
《では、どうして堕ちたのだ》
《…燃料の『アーズィ』が、痛んでいたようで。》
《なんということだ!》
ドン、とコンソールにフリッパーを叩きつけ、司令官である艦長は天井を見上げた。
艦橋に集まった部下達が、口々に「なんということだ」とクチバシをそろえる。 艦内には、明らかに動揺が広がっていた。 作戦の要となるルル・ガーグィンを欠く事は、彼らにとって大きな痛手であった。
落ち着きを取り戻すと、艦長はひとつ咳払いをする。
《…ルルも、グィングィン星の武人鳥 だ。 なんとしても任務を遂行し、帰還するだろう》
《そう願うほか、ありませんね》
グィングィン星の面々は、《そう願う他ない》とクチバシをそろえて囁きあった。
厳かな声色で、艦長が号令をかけた。
《作戦は予定通り続行する。 ルルが予定刻限に間に合わなければ、総力を挙げて、救出作戦を決行するぞ。 …各員、警戒して準備に当たれ!》
《グァー!》
フリッパーを高々と掲げて、部下達は上官に敬礼した。
《グァー!》
to be continued.
2012.7.16 Update.
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