『 ペンギン・マター 』
――――――――――――――――――― 2
緒方一家の物置小屋には、宇宙ペンギンの『ルル』が住んでいる。
これは、人類にとって一大事といえる出来事であったが、ルルは緒方一家の面々に、この事は他言無用だと念を押した。
「なんで?」と夏海に問われて、咄嗟に『ヒト見知りするのです』と応えてしまい、全くの失敗だったと後悔したが(そもそもニンゲンとは、緒方一家ですら初対面だ)、夏海が「あたしもそうやで、一緒やね」と笑ったので、予想外にすんなりと了解してもらえたようだった。
“蔵”というほど堅牢なつくりではなく、“物置”というには少々ゆったりとしたこの建物は、文字通り離れにある古小屋である。 中には、農具や緒方家の祖父が生前戯れで集めていたという古臭い骨董品が、ぞんざいに保管されていた。
埃を払った4畳程度の板の間が、ルルの居住スペースだ。 ルルはここで日がな一日、墜落で故障した宇宙ボートを修理している。 フリッパーの傷はまだ癒えきっていないが、座していても物事は進まないし、時間も止まらない。
彼には、投げ出すことの出来ない重要な任務が課せられているのだ。
だが、その修理作業は困難を極めた。
(通信装置だけでも無事であればと思ったが…これは思った以上に深刻だな…)
一刻も早く船を修理し、母艦に連絡を取らねばならない。 作戦予定時刻まではまだまだ余裕があったが、船からの通信信号が途絶えた事は、母艦にいる大勢の仲間を動揺させているに違いない。
(―――それにしても、なんだこの国の暑さは)
ルルはまたひとつ、大きな溜息をついた。 耐えられないほどではないものの、さすがに長時間熱のこもる小屋で作業を続けると、バテてしまいそうになる。 そんな時は、緒方一家に用意してもらったビニール・プールで、すこしの間涼むようにした。
そうやって作業と休憩を何度か繰返していると、小屋の入り口から、4つの目がこちらを見つめているのに気がついた。 くりっとした大きな目と、糸のような細い目が、縦にならんでこちらを見ている。 さては、こちらの行動を監視しているに違いない。
(子供とはいえ、侮れん。)
ルルは僅かに身構えたが、何故か地球星人の弟の方は、「じーっ」と、隠密動に不必要な擬音を声に出している。
(…ほんとうに、監視する気があるのだろうか?)
ルルは、大いに戸惑った。
「なあ、ルル?」
『ナツミか、なんだ』
「あのさー、一緒に遊ばへん?」
予想通りの問いかけに、ルルはぷいとクチバシを反らし、そっけなく応える。
『すまないが、断る。 この宇宙ボートを修理しなくては、故郷に帰られないんだ』
「え〜っ」
この星の言葉は、任務に志願する前に、無人偵察機から取り寄せた情報を元に学習した。
地球上の言語は一通り学習済みだが、日本語の発音には、まだ慣れない。 特にこの一家の使う言葉は、妙になまっている。
地球星人の表情の変化をまだよく理解できないルルは、相手の感情を、声の調子や、目を見て判断するほかなかった。 どうやら姉のほうは残念がっているようだ。 正体不明の異星人に、こうも無防備に近づけるものだろうか。
一方で、目が細くて、何を考えているのかよく伺えない弟の雪丸は、またじーっとルルを見つめた後で、とつりと言った。
「遊んでくれへんのやったら・・・ご近所のひとにルルの事しゃべってもいい?」
『なっ、なんだと』
ルルは驚愕した。 やっぱり地球星人とは、調査通り、卑怯で狡猾な生き物であるらしい。
こんな子供ですら、相手を脅す術を知っているのか。 グィングィン星人の武人は、そんな卑怯な手には――
――いや。 だが待てよ。 地球星人に我々の存在を知られれば、作戦にとって大きな障害となる。
雪丸は、重ねて問いかけた。
「…かまへん?」
『手が空いたときだけだぞ!』
こうしてルルは簡単に、雪丸の策略にはまり、二人の遊びに付き合わされる事となった。
そして、意外な事に“だるまさんが転んだ”という地球星人の遊びは、非常に面白かった。
これはグィングィン星でも流行るかもしれないと、ルルは思った。
☆ ☆ ☆
翌日の金曜日。
昨日までの晴れ続きが嘘のように、その日は夕方から、梅雨のような雨空になった。
雪丸は縁側に雨戸を引く手伝いを終えると、他にすることがなくなってしまった。
「――おねえちゃん。 お母さん、傘持っていきようかなあ?」
「どうやろう。 朝は晴れてたからなあ。」
夏海はうーん、と唸った後で、「お母さんの事やから、たぶん持って行ってへんと思う」 と言う。
雪丸は、ちょっぴり心配になってきた。
「なあ おばあちゃん。 お母さん、ちゃんと傘持っていきようかな?」
アキさんは、怒ったようないつものしかめっ面だ。
「はて。 どうやったかね。」
しかめっ面のまま、首をかしげた。 そしてそのままの姿勢で、
「まあ、傘忘れて困ってたら、公衆電話から連絡寄越すやろ」
ずり落ちて鼻でかけたメガネをくい、と持ち上げて、楽観的に言った。 雪丸は、なんだか不安になってきた。
雨はどんどんと勢いを増し、バラバラと雨戸を叩く音がする。
もしテレホンカードを持っていなかったり、小銭を持ち合わせていなかったとしたらどうしよう。
ひょっとしたら、駅前で途方にくれる事になるかもしれない。
『ハハさまが、どうしたって?』
物置小屋でいつもどおり銀色タマゴを修理していたルルは、雪丸の不安げな挙動に、疑問符を浮べた。
「お母さん、出かけていくとき、ちゃんと傘もってた?」
『うーん、知らん。 朝ちょっと出かけに挨拶しただけだからな』
「そう…」
うなだれる雪丸に、ルルは言う。
『傘を持っていかないと、何か困ることでもあるのか?』
人鳥であるルルは、濡れてしまう事に何の懸念もない。 だが、雪丸は心配だ。 お母さんが風邪でも引いたとしたら大変だと思う。 新しく始めたお仕事の傍ら、週末は祖母に習って農作業を手伝っている母親の事だ。 きっと、風邪を引いてしまっても無理を押して頑張ってしまうに違いない。
『うーむ。 ハハさまは、通信機を持ってはいないのか?』
「つうしんきってなに?」
『直接本人に繋がる、電話のようなものだ』
「ちょっと前は、ポケベル持ってたけど…今は持ってない」
『ならば打つ手ナシだな』
「……」
雪丸は思いついた。 それならば、駅まで傘を届けに行けばいいのだ。
時刻は夕方の5時。 雨曇りで外はうす暗いが、歩けないほどではない。
山道を通って近道すれば、30分ほどで駅につく。 お母さんが傘を持っていれば良し、持っていなければ、きっと笑顔で喜んでもらえるだろう。
雪丸は思いついたばかりの計画を、夏海とルルに持ちかけた。
夏海は二つ返事でいいよ、と答え、ルルもしぶしぶ『ちょうど水浴びもまだだし、付き合ってやるか』と賛同してくれた。
他の人間に見つかる危険性については、『いざとなったら、光学迷彩を使うから大丈夫だ』とちんぷんかんぷんな事を言っていた。 雪丸にはよくわからないが、なんだか平気そうだ。
ふたりと一羽は、「きっと止められるやろうから」と、アキさんには何も言わずに家を出た。
玄関の戸を開いて一歩外に出ると、雨の弾ける音はいっそう大きくなった。 生暖かく吹く風は、もわりと水の匂いがする。
「おおー、すごい雨!」
『これはなかなか気持ちがいいぞ!』
雨合羽に、大人用の長靴と大きな傘で準備万端の姉弟は、何も身に着けていない人鳥を従えて、雨の田んぼ道を歩き出した。
☆
強い水の粒を受けて音を立てて揺れる傘や、長靴の下で跳ねる水溜りが楽しくて、姉弟はきゃあきゃあとはしゃぎながら道を進んだ。
しかし、山道に入ると、だんだん口数が少なくなる。 雷が鳴り始め、怖くなってきたのだ。
遠い雲の中に、紫の稲光が走ったのを見て、ルルは興奮して大きな声で叫んだ。
『ギョエー!ギョワー!』
彼の星の言葉で、意味は「我、発見せり」という意味の言葉だ。 うまれて初めて見る雷に、ルルは興味深深である。
『すごい、これがカミナリか! はじめてみたぞ!』
一方で雪丸は、びくりとして夏海の手を握った。 数秒後に、ゴーン、ドロゴロゴロという音が耳元でこだまする。 暗い木々の中でその音は想像していた以上に大きく反響し、恐怖に思わず耳を塞ぎたくなる。 おへそを盗られるとは思わないが、今にも頭のうえに降ってくるのではという不安に駆られた。
先ほどまで楽しかった雨音も、「どうだ、怖いだろう?」と脅かしているかのように聞こえてくる。
長靴の中に侵入した雨水はつまさきを冷やし、帰りたい、という思いが、一歩歩くたびに雪丸の心の底で湿った音を立てた。
夏海は微笑み、そっと雪丸の手を引いた。
「大丈夫やで、行こう。 お母さんに傘届けるんやろ?」
「うん」
バカにしたような声色で、ペンギンが茶々を入れた。
『なんだ、雪丸、こわくなったのだな?』
「こっ、こわくないわ!」
雪丸は強がって、おぼつかない足取りで、山道を進んでいく。
ビニール傘の露先にぶら下がった水玉のなかでは、反転した世界が雨に濡れていた。
往路の半分を超えた頃、二人と一羽はぴたりと歩みを止めた。
「あっ…!」
小さな木の橋がかかる細い川が、この大雨で大きく水かさを増していたのだ。 橋の淵まで水面が増し、道の上を水が横に渡っている。 渡れない事はなさそうだ。 だが橋の下を行くその流れは、ひと目に恐怖を感じる勢いを持っていた。
泥色の水の流れが、ドドド、と音を立てている。
「どうしよう…」
今度は、夏海が怖気づいたようにその場に留まってしまった。 ルルはきょとんとして、『渡らないのか?』と首をかしげている。
ここを通らなくては、駅まではたどり着けない。他に道があるのかもしれないが、知らない。
闇雲に道を探して迷子になるくらいなら、多少怖くともこの橋を渡ってしまったほうがいい。 雪丸はそう考えた。
不安そうな姉の表情を見て、今度は雪丸が勇気を出して、長靴の足で一歩を踏み出す。
「大丈夫お姉ちゃん、ぱっと渡っちゃおう」
そして、水の流れる橋の上を歩き出した。 長靴の足下に流れる水に、先ほどの水遊びで感じたような楽しさは感じなかったが、雪丸は空元気を出して姉を振り返った。
「ホラ、全然大丈夫。 スキップもできるで」
その時だ。 ひときわ強い風が横殴りに吹きつけ、雪丸は風にあおられた傘に引っ張られ上体を反らす。 風に連れられた大きく鋭い波が、橋の上を走った。 履き慣れない大人用のゴム長靴はぐにゃりと形を変え、途端に軸足をすくわれる。
たたらを踏む猶予もなく、雪丸は倒れこむように橋の淵から流れの中へと落ちた。
「ユキ!!!!」
黄色い雨合羽が、泥色の濁流に飲み込まれる瞬間を、夏海はみた。 木々の葉を打つ雨音が、少女の悲鳴をかき消した。
☆
「あれ? お義母さん、あの子たちはどうしたんですか?」
緒方の家に帰りついた幟は、家の中に子供達がいない事に気がついた。
「さあねえ。 さっきから見かけへんよ。 ペンギンのところにおるんとちゃうかね」
物置小屋を訪ねてみたが、ふたりはいない。 ルルの姿も見えない。 外はもう暗くなり始めている。 外遊びなら、帰ってきているはずだ。
「幟さん、そういえばあんた、ちゃんと傘持っていっとったんやねぇ」
「あ、いいえ。 でもさすがに駅で買っちゃいました。 すごい雨ですから。」
「あーそうかい。 いや雪丸が、お母さん傘持って行ったかなあって、えらい気にしとったからさ」
幟ははっと顔をあげた。 実家にいたとき、雨が降ると、決まって姉弟は駅まで傘を持って迎えにきてくれたのだ。
下駄箱を確かめる。 長靴と、大人用の傘が3本無くなっていた。
ひやりとした汗が、背中に湧き立つのを感じた。
「お義母さん、あの子たち、ひょっとして山に入ったのかもしれない。 わたし、ちょっと出てきます!」
靴を履き、戸を開いた。 シャワーのコックを最大にひねったような大雨が、目の前の田んぼ道を強く打っていた。
雷光のうつろう雲の下、大きな足跡を弾かせながら、幟は駆け出した。
ずしりと厚みを持って轟く雷鳴に、言い様のない胸騒ぎが呼び起こされる気がした。
to be continued.
2012.7.18 Update.
――――――――――――――――――――――――――――― next page