『 ペンギン・マター 』
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緒方の家でいちばん幼い弟の雪丸は、毎日絵日記をつけるのが日課だ。
彼は基本的にぐずで失敗ばかりをしているが、何事にもめげない明るいムードメイカーである。 好奇心が旺盛で、くだらない出来事も、彼の絵日記にかかればちょっとした冒険に変わる。
《きょうは、おやましたのいけでざりがにつりをしました。 たくさんつって えさがなくなったので、きのえだをくくってみたら、なんと きのえだでもつれました。 ・・・ざりがに は、ばかかもしれません!》
ユキの絵日記を広げて、ルルは笑った。
『くっくっ、ユキ、お前の絵日記は面白いな。』
「えへへ、そう?」
『ちゃんと“オチ”をつけることを忘れていない。いいぞ。 …まあ、俺の絵はもうちょっとハンサムに書いてほしいけどね。 おれこんなにくちばしでっかくないよ』
「えー、こんなもんやよ」
『バカいえ、ナツの頭くらいあるじゃないか。 こんなにでかくない』
「でかいって」
グィングィン星人にとって「くちばしがデカい」と言われるのは、人に言い換えると「鼻の穴がデカい」と言われている事に等しい。 ルルは、プンプンと憤慨した。
『ユキ、失礼だなおまえは。 かけっこで白黒つけてやろうか』
幼稚園を来年卒園する年齢の雪丸は、にやりと笑んで、年長組の余裕を見せた。
「ルルの短い足やったら、年少組に喧嘩を売らんと。 いくらぼくでも勝てる」
『言ったなこいつ。 よし、家のまえの田んぼ道で対決だ』
その日の絵日記には、こんな一ページが追加された。
《きょうは ルルと かけっこたいけつをしました。 あっしょうすぎて へがでました》
『おいユキ、もうちょっとお上品な表現にしろ!』
☆
ルルが小屋から母屋に帰ってくると、ちょうど幟さんが買出しから戻ったところだった。
「あっ、ルルちゃん、ちょうどよかったわ。 冷蔵庫に入れるの手伝って」
『お安い御用です』
冷蔵庫をひらくと、ふわりとすべり降りてくる冷気に、ルルはうっとりと目を細めた。 今日も太陽はぎらぎらとまぶしく、うだるように暑い。 ルルを見下ろして、幟さんはじゃじゃーんと言いながら、なにやら買い物袋からピンク色の液体の入った筒を取り出した。
「ルルちゃん、これ、なんだかわかる?」
『なんでしょうか。 んん、シロップ、と書いてあるのか?』
「そう! カキ氷のシロップです!夏といえばやっぱりこれよね」
『ふむ、カキ氷…』
ルルは短い首をかしげてみせた。 『カキ氷とは、なんですか?』
「あらら、雪国出身のルルちゃんはわからないのね〜。 氷を削って、この甘ーいシロップをかけて食べる氷菓子よ。 あとで作って上げるからね。」
『おおっ』
ルルはきらきらと輝く瞳で幟さんを見上げた。
最初は「氷を食べるのか?」 と怪訝に思ったが、この暑さの中では、すごく美味しそうだ。
はやく手伝いを終えて食べたい。
幟さんが買いものを袋から出したものを、冷蔵庫へと移す作業を手伝う。
アジの入ったパックを受け取ると、ルルは思わずよだれがこぼれてしまいそうだった。
(地球のアーズィもすごく美味だ。 地球に来てよかった)
「これもお願いね」
もう一パックを受け取ったその時、ルルは幟さんの左手の指に、輝く銀の環を見つけた。
TVドラマで見たことがある。 あれは、地球人の『つがい』の証だ。 ルルがじっと薬指を見ている事に気がついた幟さんは、なあに?と微笑んだ。
ルルは、そっと幟さんを見上げた。
『ハハさま――あなたの“つがい”は、どうしたのですか? TVを見る限り、地球人は、女性だけで子育てをする習性ではないようですが』
そして、言葉に出してすぐ、「聞くべきではなかった」と小さく後悔をした。
ジーワ、ジーワと、つがいを求めるセミの声が、開けた窓から室内に届く。 幟さんは自分の薬指を見つめた。 その眸がとても悲しそうに見えたのだ。
「――今はもう、いないわ。」
幟さんは、しゃがみこんでルルと視線を合わせた。 片手を自分の胸に当て、もう一方をルルのふっくらとした胸板にそっとあてがった。
「でもね、ここに生きているから平気よ。」
ルルは言葉に窮した。 一見親切で能天気にみえる緒方一家にも、何か事情があるのだ。
家族の一員として認められたとはいえ、自分にその事を聞く資格はあるのだろうか。 いいや、話してはくれないのだろうか。 ルルは逡巡し、『すみません、妙な事を聞きました』とだけ、言葉にして、短い首をうなだれる。
ふふふ、と幟さんは陽気に笑った。
「いいえ。大丈夫。 それよりもルル、あなたは恋人を探して地球にやってきたんでしょう。 はぐれた恋人が心配ね」
『あっ……はい……』
少し後ろめたくて、ルルは幟さんの瞳を見ることが出来ない。
「どうしてはぐれてしまったの?」
『彼女の乗った、宇宙ボートの不具合が原因です。 俺のボートと同じく。 ですが、俺がこの地球にやってくるより、こちらの時間で1年近くも前に、彼女は既に墜落していることが予想されているんです。 急いで救出にやってきましたが、1年も時間が経ってしまいました。』
「彼女が墜落した場所は……分かっているの?」
『はい。 おそらくは』
ルルは言葉を留め、冷蔵庫にマグネットで貼り付けられた小さな世界地図を、8本指の指先で指し示した。
そこは地図の下端、白く大きな大陸である。
『南極大陸です。 ――彼女が生きていることを、俺は信じています。』
「…うん。 大丈夫! 南極にはあなた達によく似た『コウテイペンギン』達がいるもの。 きっと元気で暮らしているわ。 ルルの助けを待っていると思うわよ」
頭を掌でなでられると、ルルは、むずかゆい暖かさが、胸の中に広がるのを感じた。
『ありがとうございます…』
「さて、それじゃあ、さっそくカキ氷をつくりましょうかね! ナツ〜、ユキ〜、降りておいでー」
どたどたと姉弟が階段を降りてくる。 エプロンを身に着ける母の姿を見上げて、ルルは思った。
この女性は強い。 優しさの中に強さを秘めた、芯のある女性だ。
雪丸の明るさは、きっとこの人ゆずりに違いない。
幟を見ていると、ルルは、ある女性を思い出した。
忘れられようも無い、誰よりも大切な、気高く美しい女性の事を。
☆ ☆ ☆
『ねえ、ルル。 わたしたちは、どうして空を飛ぶことができないのでしょうね?』
――あどけない表情で、帝国の姫 はそう問うた。 きっと、何か意味があるんだわ、と。
ルルは気恥ずかしくて、恐れ多くて、映像通信に写る彼女の表情から、低頭して視線を反らした。
グィングィン星の大気圏を突破した宇宙ボートは、上昇を止め、ルルの眼下には、雪と雲で化粧をした、青い惑星が広がっていた。
『キューア姫、きっと神様は、この眺めを我々に見せたかったのでしょう。 翼があれば、きっと、空を飛ぶことだけで満足してしまったでしょうから』
美しい惑星、母なるグィングィン星をみつめていると、そんな言葉が自然とくちばしからこぼれた。
『ふふ、そうかもしれないわね。 ――ほんとうに、きれい。』
ルルは嬉しかった。 彼女の護衛 役を務められる事が。 ずっと、幼き頃からの夢だった。
たとえそれが、宇宙ボートの操縦訓練の間だけだとしても、ただ一介の軍人には、許されざる幸福であると感じていた。
青く鮮やぐ母星が、ゆっくりと眼下に遠ざかっていく。 姫が、不安げな声で言った。
『ねえ、ルル――。 …おかしいわ、上昇が止まらない。』
ルルのボートを、後から続くキューア姫のボートが追い抜いた。
急いで追いかけるが、彼女のボートはどんどんと速度を増していく。
『キューア姫、落ち着いてください、強制離脱の操作を』
映像通信に映る、切迫した彼女の表情に、いくつものアラート表示が重なる。
『空間跳躍装置が――ルル、どうしよう、勝手に動いてる! 強制離脱が受け付けられない』
『バカな――』
止めなくてはならない。
ボートを衝突させるんだ。 ダメだ。姫の身に万が一のことがあっては。
外に出て、推進装置だけを停止させよう。 速度が早すぎる。 取り付けない。
焦燥に炙られる心の片隅に、冷たく沈んだ確信がよぎる。
故障ではない。 これは――
『ルル、助けて―― ルル!』
「ルル!!」
ナツの呼び声で、はっと目が覚めた。
朝だ。 朝日の差す物置小屋の景色が見え、天井との間に、ナツの顔が見えた。
地球星人の表情の違いは、最近覚えた。 これは、不安な時の顔だ。
ナツは、よく、そんな表情をしている。
『…寝てしまっていたか』
「ルル、大丈夫?」
『うん、ちょっと暑くて、動けない。』
「いま、冷たい水、たらいにいっぱい、汲んでくるからね」
『ありがとう、ナツ。 すまない』
ぱたぱたと足音が遠のいていく。
ルルは、くちばしを閉じ仰向けになったまま、天井の一点をじっと見つめていた。
to be continued.
2012.7.22 Update.
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