『 ペンギン・マター 』
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 緒方の家でいちばん幼い弟の雪丸は、毎日絵日記をつけるのが日課だ。 
 彼は基本的にぐずで失敗ばかりをしているが、何事にもめげない明るいムードメイカーである。 好奇心が旺盛でくだらない出来事も、彼の絵日記にかかればちょっとした冒険に変わる。
《きょうは、おやましたのいけでざりがにつりをしました。 たくさんつって えさがなくなったので、きのえだをくくってみたら、なんと きのえだでもつれました。  ・・・ざりがに は、ばかかもしれません!
 
ユキの絵日記を広げて、ルルは笑った。
『く
くっ、ユキ、お前の絵日記は面白いな。』
「えへへ、そう?」
『ちゃんと“オチ”をつけることを忘れていない。いいぞ。 
まあ、俺の絵はもうちょっとハンサムに書いてほしいけどね。 おれこんなにくちばしでっかくない
「えー、こんなもんやよ」
『バカいえ、ナツの頭くらいある
じゃないか。 こんなにでかくない』
「でかいって」
 グィングィン星人にとってくちばしがデカい」と言われるのは、人に言い換えると「鼻の穴がデカい」と言われている事に等しい。
 ルルは、プンプンと憤慨した。
ユキ、失礼だ
おまえは。 かけっこで白黒つけてやろうか』
 
幼稚園を来年卒園する年齢の雪丸は、にやりと笑んで、年長組の余裕を見せた。
「ルルの短い足やったら、年少組に喧嘩を売らんと。 いくらぼくでも勝てる」
『言ったなこいつ。 よし、家のまえの田んぼ道で対決だ』

 その日の絵日記には、こんな一ページが追加された。

《きょうは ルルと かけっこたいけつをしました。 あっしょうすぎて へがで
ました》
『おいユキ、もうちょっとお上品な表現にしろ!』






 ルルが小屋から母屋に帰ってくると、ちょうど幟さんが買出しから戻ったところだった。
「あっ、ルルちゃん、ちょうどよかったわ。 冷蔵庫に入れるの手伝って」
『お安い御用です』
 冷蔵庫をひらくと、ふわりとすべり降りてくる冷気に、ルルはうっとりと目を細めた。 今日も太陽はぎらぎらとまぶしく、うだるように暑い。 ルルを見下ろして、幟さんはじゃじゃーんと言いながら、なにやら買い物袋からピンク色の液体の入った筒を取り出した。
「ルルちゃん、これ、なんだかわかる?」

『なんでしょうか。 んん、シロップ、と書いてあるのか?』
「そう! カキ氷のシロップです!夏といえばやっぱりこれよね」
『ふむ、カキ氷…』
 ルルは短い首をかしげてみせた。 『カキ氷とは、なんですか?』
「あらら、雪国出身のルルちゃんはわからないのね〜。 氷を削って、この甘ーいシロップをかけて食べる氷菓子よ。 あとで作って上げるからね。」
『おおっ』
 ルルはきらきらと輝く瞳で幟さんを見上げた。
最初は「氷を食べるのか?」 と怪訝に思ったが、この暑さの中では、すごく美味しそうだ。
はやく手伝いを終えて食べたい。
 
幟さんがものを袋から出したものを、冷蔵庫へと移す作業を手伝
 アジの入ったパックを受け取ると、ルルは思わずよだれがこぼれてしまいそうだった。
(地球のアーズィもすごく美味だ。 地球に来てよかった)
「これもお願いね」
 もう一パックを受け取った
その時
、ルルは幟さんの左手の指に、輝く銀の環を見つけた。
 
TVドラマで見たことがある。 あれは、地球人の『つがい』の証だ。 ルルがじっと薬指を見ている事に気がついた幟さんは、なあに?と微笑んだ。
 
ルルは、そっと幟さんを見上げた。
ハハさま
――あなたの“つがい”は、どうしたのですか? TVを見る限り、地球人は、女性だけで子育てをする習性ではないようですが』
 そして、言葉に出してすぐ、
聞くべきではなかったと小さく後悔をした。
 
ジーワ、ジーワと、つがいを求めるセミの声が、開けた窓から室内に届く。 幟さん自分の薬指を見つめた。 その眸がとても悲しそうに見えたのだ。
「――今はもう、いないわ。」
 幟さんは、しゃがみこんでルルと視線を合わせた。 片手を自分の胸に当て、もう一方をルルのふっくらとした胸板にそっと
あてがった。
「でもね、ここに生きているから平気よ。」
 ルルは言葉に窮した。 一見親切で能天気にみえる緒方一家にも、何か事情がある
のだ

家族の一員として認められたとはいえ、自分にその事を聞く資格はあるのだろうか。 いいや、話してはくれないのだろうか。 ルルは逡巡し、『すみません、妙な事を聞きました』とだけ
言葉にして、短い首をうなだれる。
ふふふ、と幟さんは陽気に笑った。
「いいえ。大丈夫。 それよりもルル、あなたは恋人を探して地球にやってきたんでしょう。 はぐれた恋人が心配ね」
『あっ……はい
……

 少し後ろめたくて、
ルルは
幟さんの瞳を見ることが出来ない。
「どうしてはぐれてしまったの?」
『彼女の乗った、宇宙ボートの不具合
が原因です
。 のボートと同じく。 ですが、がこの地球にやってくるより、こちらの時間で1年近くも前に、彼女は既に墜落していることが予想されているです。 急いで救出にやってきましたが、1年も時間が経ってしまいました。』
「彼女が墜落した場所は
……
分かっているの?」
はい。
おそらくは』
 
ルルは言葉を留め、冷蔵庫にマグネットで貼り付けられた小さな世界地図を8本指の指先で指し示した。
そこは
地図の下端、白く大きな大陸である
『南極大陸です。 ――彼女が生きていることを、俺は信じています。』
うん。 大丈夫! 南極にはあなた達によく似た『コウテイペンギン』達がいるもの。 きっと元気で暮らしているわ。 ルルの助けを待っていると思うわよ」
 頭を掌でなでられると、ルルは、むずかゆい暖かさがの中に広がるのを感じた。
『ありがとうございます

「さて、それじゃあ、さっそくカキ氷をつくりましょうかね! ナツ〜、ユキ〜、降りておいでー」
 どたどたと姉弟が階段を降りてくる。 エプロンを身に着ける母の姿を見上げて、ルルは思った。
 この女性は強い。 優しさの中に強さを秘めた、芯のある女性だ。 
雪丸の明るさは、きっとこの人ゆずりに違いない。

 幟を見ていると、ルルは、ある女性を思い出した。
 忘れられようも無い、誰よりも大切な、気高く美しい女性の事を。


☆ ☆ ☆


ねえ、ルル。 わたしたちは、どうして空を飛ぶことができないのでしょうね


 ――あどけない表情で、帝国の姫(わがきみ)はそう問うた。 きっと、何か意味があるんだわ、と。
 ルルは気恥ずかしくて、恐れ多くて、映像通信に写る彼女の表情から、低頭して視線を反らした。
 グィングィン星の大気圏を突破した宇宙ボートは、上昇を止め、ルルの眼下には、雪と雲で化粧をした、青い惑星が広がっていた。
『キューア姫、きっと神様は、この眺めを我々に見せたかったのでしょう。 翼があれば、きっと、空を飛ぶことだけで満足してしまったでしょうから』
 美しい惑星、母なるグィングィン星をみつめていると、そんな言葉が自然とくちばしからこぼれた。
『ふふ、そうかもしれないわね。 ――ほんとうに、きれい。』
 ルルは嬉しかった。 彼女の護衛(エスコート)役を務められる事が。 ずっと、幼き頃からの夢だった。
たとえそれが、宇宙ボートの操縦訓練の間だけだとしても、ただ一介の軍人には、許されざる幸福であると感じていた。
青く鮮やぐ母星が、ゆっくりと眼下に遠ざかっていく。 姫が、不安げ
声で言った。
『ねえ、ルル――。 …おかしいわ、上昇が止まらない。』
 ルルのボートを、後から続くキューア姫のボートが追い抜いた。
 急いで追いかけるが、彼女のボートはどんどんと速度を増していく。
『キューア姫、落ち着いてください、強制離脱の操作を』
 映像通信に映る、切迫した彼女の表情に、いくつものアラート表示が重なる。
『空間跳躍装置が――ルル、どうしよう、勝手に動いてる! 強制離脱が受け付けられない』
『バカな――』
 止めなくてはならない。
ボートを衝突させるんだ。 ダメだ。姫の身に万が一のことがあっては。
外に出て、推進装置だけを停止させよう。 速度が早すぎる。 取り付けない。
焦燥に炙られる心の片隅に、冷たく沈んだ確信がよぎる。
故障ではない。 これは――
『ルル、助けて―― ルル!』


「ルル!!」

 ナツの呼び声で、はっと目が覚めた。
朝だ。
朝日の差す物置小屋の景色が見え、天井との間に、ナツの顔が見えた。
 地球星人の表情の違いは、最近覚えた。 これは、不安な時の顔だ。
ナツは、よく、そんな表情をしている。
『…寝てしまっていたか』
「ルル、大丈夫?」
『うん、ちょっと暑くて、動けない。』
「いま、冷たい水、たらいにいっぱい、汲んでくるからね」
『ありがとう、ナツ。 すまない』
 ぱたぱたと足音が遠のいていく。
ルルは、くちばしを閉じ仰向けになったまま、天井の一点をじっと見つめていた。




to be continued.



2012.7.22 Update.

  


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