『 ペンギン・マター 』
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夏海は国語のドリルを開いて、目にした問題にハテナマークを浮べた。
今解いているのは、故事成語の問題だ。
問4:つぎのこじせいごをかんせいさせなさい
・ 『きゅうそ□□をかむ』
「きゅうそって何やろう?」
傍で見ていたルルが、おしりをふりふりしながら覗き込む。
『なんだ、ナツミ、そんな簡単な問題もわからないのか?』
「簡単なん、これ?」
『“余裕のよっちゃん”くらい簡単だぞ』
得意満面といった様子のペンギンを、傍でアイロンがけをしているお母さんがそっとたしなめた。
「ルルちゃん、それことわざじゃないわよ」
ルルはつい、駄菓子のよっちゃんイカに思いを馳せて、よだれを垂らしそうになっていたが、幟さんの指摘に『えっ、そうなのか?』と恥じ入っている。
「きゅうそってなに? そもそも」
今度は、ちゃぶ台の向かいで絵日記を描いていた雪丸が、すかさず顔を上げて応えた。
「わからん! 『きゅうり』の間違いじゃない?」
『・・・そこで問題を疑ってしまうところがユキ、お前のわるいくせだぞ』
「えー、だってきゅうりならできるよ、“きゅうりの実をかむ”やろー、ぜったい」
「あっ、そうか」
「違うわよ、ナツ。何納得してるの。 それ、普通にきゅうり食べてるだけじゃないの。 窮鼠っていうのはね、追い詰められて逃げ場のなくなったネズミさんのことを言うの」
「えーっ、ネズミぃ? 追い詰められたときネズミが噛む物かあ。 ん〜…二文字でかぁ〜」
しばらく頭を悩ませた後で、ナツは「あ、わかった」と言って、さらさらとドリルに書き込んだ。
・ 『きゅうそガムをかむ』
それを見た一同は、声を合わせて言った。
「「『 そんな余裕ないだろ!! 』」」
☆
その日からルルは、夜もみんなが寝静まる時間まで、物置小屋で作業に取り組むようになった。
冷房など無い物置小屋の暑さに、時折ぐったりしながらも、修理を急ぐ。 宇宙ボートの修理を急がなくては本隊と連絡が取れないのだ。 連日の努力の甲斐あって、やっと通信機の復旧に目処が立ちそうだった。
8本指のマニュピレーターを駆使して、制御ボックスをいじっていると、背中に涼やかな風が吹いた。
「やっほー、がんばってる?」
『ナツ?』
ルルが振り向くと、後ろで夏海が、皆の寝室で使っている“扇風機”なる機械装置を、物置小屋に設置していた。
「おばあちゃんがね、ルルが暑いやろうから、一台こっちにもってきてあげりって」
『そうか…ありがとう。 明日、ババさまにお礼を言っておこう。』
「それからねー――じゃじゃーん♪ これは私から!」
いたずらを披露する子供の表情で、夏海は霧吹きを取り出した。 中には冷えた水がたぷりと揺れている。
扇風機の回る羽根の前で、ナツはしゅっとひと吹き、霧吹きを動かした。
ひんやりした冷たい水の粒子が風にのって、ルルの顔に吹き付けた。 その心地よさに、ルルはうっとりと目を閉じた。
『おお、冷たくて気持ち良い。 冷蔵庫の中にいるみたいだ。』
「でしょ。 小1のときにね、夏休みの自由研究で、扇風機について書いたんよ。 扇風機は風を起こしようだけやから、おなじ温度の空気が動くだけで、気温そのものは変わらんの。 肌に風があたってるから涼しく感じるだけなんよね。 やけど、水の粒を混ぜたら、水が蒸発するときに、熱をうばっていくでしょ、だからこれ、エアコンの代わりにつかえんかなって、考えてるねん。 電気代もエアコンよりずっと安いよ。 …寝るときは、布団が濡れちゃうから使われへんけどね」
『へえ、頭がいいな、ナツは。 寒いグィングィン星では誰もそんな事を考えたことがなかったが、気化熱で冷却という考えは、面白い』
「でしょ。 おばあちゃんが打ち水してるのを見て、思いついてん」
ルルはあらためて夏海を見た。 普段は面倒くさがりやでぐうたらな一面も見せる夏海だが、その根っこは、利発で思いやりのある少女だ。 恐らくは、自分のためを思って、涼しくなる方法を思案してくれたに違いない。
精密機械を脇に避けると、ルルは移動して扇風機の風の前に座った。
『もうひと吹き頼んでもいいかい、ナツ。 暑くて倒れそうだったんだ。』
ナツは喜んで頷き、霧吹きを吹かせた。
「…ね、ルルの住んでた星って、どんなところなん?」
『グィングィン星か? 水と氷に包まれた、美しい惑星だぞ。 ここと違って、すごく寒いんだ。 日本の夏の暑さだと、氷を外においておいたら、すぐに融けてなくなっちゃうだろう。 グィングィン星では、ずっと融けずに残っているんだ。 冷凍庫みたいに寒いから。』
「へー!! すごいねえ。 …その涼しいの、ちょっと分けてもらえたらなあ。 地球はね、『温暖化』っていって、毎年ちょっとずつ暑くなってるんやって。原因はわからんのやけど、人間が悪いんじゃないかって、いわれている。 ほかにも、『おぞんほーる』とか、『酸性雨』みたいに、人間の生活が原因で、環境が悪くなっていることもあるねんてさ」
『この間、TVでやっていたな。 グィングィン星とこの地球は、そういう意味では“正反対”だ』
「せいはんたい?」
ルルは、こくり、と頷いた。
『うん。 グィングィン星人は、自分の星の環境にはすごく気を遣うんだ。 科学や技術が発達しても、昔からの生活を変える事はしない。 ――例えば、俺達は氷の上で暮らすから、家を建てない。 仲間同士集まって羽毛で暖をとるから、火を起こさない。天然資源を掘り出しても、それを私生活のためには使わない。』
全ては、グィングィン星のため、たったひとりの女王を戴く同胞 のために。 誰もが、自分自身のためではなく、“みんなのため”に、最善を考え、実践する。 惑星のほとんどを氷と水が占める故郷で、母なる海を汚しては生きていけない事を、彼らはよく理解していた。
『地球人も、自分達の社会を大切にするが…生活を便利にしたり、その領域を広げようとするばかりで、自分の星の環境にはあまり関心がないように見えるな』
――地球人は、地球の自然環境や、他の生態系を破壊して繁栄を続けているらしい。
森を伐採して山を拓き、海を埋め立てて、汚れた河川を海へと返す。 そんな地球星人を、無人探査機の調査結果は、“醜く、破滅的で、危険。 愚かで頭の悪い生き物である”と断じていた。
「…うん」
夏海は反省するように肩を落とした。
しかし、とルルは思う。
『…だが、方法は違えども、目的に対して取る手段は、グィングィン星人も、地球人も、そう変わりは無い。 ナツ――俺達の星も、地球の“温暖化”と同じように、問題を抱えているんだ。 俺達の星を照らす太陽は、年々活動が弱まってきている。 地球とは正反対に、毎年どんどん“寒くなって”いくんだ。 このままずっと太陽が冷たくなっていけば、近い将来、海は氷河に閉ざされて、生き物はみんな氷付けになってしまう。 俺の星の学者達は、そう言っている。』
毎冬のように、定着氷の拡大は進み、吹雪はいっそう強くなるばかりだ。
既に、抱卵しても孵らずに死んでしまうタマゴが、年々、少しずつ増えてきている。 この問題は、グィングィン星の一大事と言えた。
「…大変やん!」
夏海は、自分の事のように危機感を滲ませた。
『そうだ。 だから――』
頭に浮かんだ言葉を、ルルは咄嗟に、くちばしの中で、留めた。
「だから…?」
『うん。 だからこそ…夏海の考えた“霧吹き扇風機”みたいに、できるだけ環境に悪くなくって、なおかつ目的を達成できる発明を、誰かが生み出さなくてはな』
そうだね! ふわりと花がほころぶように、夏海は破顔した。
その笑顔を見ながら、ルルは、深く己を恥じていた。
☆ ☆ ☆
それから数日ののち、ついに宇宙ボートの通信機が復旧した。
熱のこもる物置小屋に呼ばれた緒方一家は、汗をかきながら、ルルが通信機を起動するのを待っていた。
ルルが帰る日が、近づいているのだ。
夏海は寂しそうな表情で、雪丸と幟はルルの努力をいたわる表情で、アキはいつもの無愛想な表情で、通信機を眺めている。
『すみません、俺のためにこんな高価なものを』
「気にしないで。 それより本当にこんなもので動くの?」
「ええ。 一定量蓄電されれば、機能復旧します」
ルルは、幟さんから受け取ったパック入りのアジを、大事そうに両手に抱えた。
彼らの星でいう『アーズィ』は、高級食であると同時に、宇宙船の動力炉で利用する燃料にもなるのだ。
電流生成菌と呼ばれる微生物を利用した動力炉は、有機物であればなんでも分解してエネルギーに変えてしまうが、グィングィン星で発明された発電細菌は、現時点では『アーズィ』の利用で最も高いパフォーマンスを得られる事が確認されている。
アーズィは温暖な海でしか捕れない高級品のため、普段の作戦行動では利用しないものの、ここぞという作戦の際には、愛機にも『アーズィ』を味わわせてやるというのが、彼ら帝国軍のしきたりである。
取り出した魚を動力タンクにひとパック分納めると、宇宙ボートの動力炉はフル稼働を始めた。
半球の宇宙ボートが置かれた床の、真上の空間がちらちらと揺れたかと思うと、何も無い屋内の空に、ぼんやりと映像が映った。 緒方家のダイヤル式テレビよりずっと大きなサイズの映像は、徐々に鮮明さを増して、やがて一匹のペンギンを映し出した。
四角い軍帽を被ったペンギンは、こちらの方を見て、ア゛ー!!と大きな声を上げた。
《こちら旗艦“ギュギュ・ガード” ……ルル!! 生きていたのか!!》
どうやら驚いている様子は伝わってくるものの、地球人の緒方一家にはペンギンが鳴き声を挙げているようにしか見えない。 ポカンとする一同の前で、ルルはこくり、と映像に向かって頷いた。
《――こちら、ルル・ガーグィン。 …ゴゼット、また会えて嬉しいよ。 心配をかけたが、この通り無事だ。 見えるか? ここにいる地球星人のオガタ一家に、命を救われた》
ルルが緒方一家を紹介するように、一同に向かってフリッパーを差し動かしたので、ナツとユキは礼儀正しくお辞儀をした。
「「こ、こんにちは〜!」」
それを聞いてゴゼットは、途端に厳しい目つきになった。
《――ルル、作戦は隠密行動だったはずだぞ、なぜそんな事になっている》
《わかっている。 だが船のトラブルで不時着を余儀なくされた。 現在地は日本。 座標は届いているだろう。 船は中破し、現状の機体状態では、大気圏突破は不可能だ。 彼らがいなくては、この通信機を修理することすら叶わず、行き倒れていただろう。 大丈夫、他のニンゲンには気づかれてはいない。》
《そうか…》
《よって、プランUの作戦延期を打診したい。 プランTの遂行は可能と判断している。》
ゴゼットは冷たくルルを見つめた。 そして、静かにかぶりを振った。
《それは認められない》
《何故だ? 一旦、作戦の建て直しが必要だ。 まだ地球星人に我々の存在は気づかれていない。 事を急ぐ必要はないんだ》
緒方一家の面々は、必死そうなルルの仕草に困惑しはじめていた。
なにやら、うまく話が進んでいないらしいことは、うっすらと伝わってくる。
《お前が墜落する際に、地球星人に察知された危険性は考えられないか? 地球の特殊な磁場に、装置が故障した可能性もある。 帰艦する際に地球星人に見つかる危険性は? ――今お前を一時帰還させる事は、作戦にとって二次的な不安要素を招きかねない。 今しがた、お前は、任務を完遂できると言ったはずだ》
《何を言っているんだ、ゴゼット。 言っただろう、船はすぐには飛べない! それならば俺の代わりに作戦を遂行する者が必要なはずだ。 俺とお前以外に、この星に精通した兵士がどれだけいるというんだ》
ゴゼットは能面のような無表情で、ルルを見た。
《お前の代役は立てないよ。》
《なんだと…》
《代わりの船をそちらに送る。 お前は任務を全うしろ、ルル。 成功の見込みがなければ、プランUに移行する。 もう、あまり時間はないぞ》
ルルは、分解された宇宙ボートの部品を思い切り蹴りつけた。 それは人間のナツミが見れば不恰好で滑稽な動作だったが、温厚で理知的なルルが取る行動とは、とてもかけ離れていた。
《ゴゼット、艦長を出せ》
《艦長は今、母星と通信中で手が離せない。 ルル、三度は言わないぞ。 これは副指令としての命令だ。 作戦を続行しろ》
緒方一家の物置小屋で、二羽のペンギンが、しばし沈黙のまま睨みあった。
セミの音(ね)が、遠く近く響いて聞こえる。
ルルはひとつ息をつき、クチバシを食いしばるようにして応えた。
《…了解しました、ゴゼット・グイス。 作戦を続行します。 ――大至急、別の船を寄こしてくれ。頼む。》
《ああ、手配しよう。 通信終わる》
そして、プツン、という音を残して、青白い映像は霞みのように消えてなくなった。
☆
その日の夕食の席で、ルルは静かに話しだした。
『――ババさま、ハハさま、ナツ、ユキ。 話さなければいけない事があります。』
彼の声の調子は至って落ち着いていたが、ナツには、彼の浮べている表情がわかっていた。
ルルは、今にも泣き出しそうな顔をしていた。
☆ ☆ ☆
その夜、串本にある航空自衛隊第五警戒群のレーダーは、和歌山県の山間部に向かって飛来する謎の飛行物体を捕らえた。 各国の軍事衛星がその物体の飛来を検知し、インテリジェンスは情報収集に乗り出した。
アメリカ国家安全保障局 と、中央情報局 の下した結論は、『地球外生命体 』。
――『すでに、第三種接近遭遇を果たした恐れ有り』
別れの日は、すぐ近くまで迫っていた。
to be continued.
2012.7.24 Update.
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シリアス度を増す本編とは違い、平和な夏休みの一幕です。